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2017/09/30 (Sat) 23:40
七宝の山に登って手を空しゅうす

11/16に発売予定の 「作詞家・阿久悠の軌跡 没後10年、生誕80年 完全保存版」(リットーミュージック刊)という本に、桜田淳子さんの特別インタビューが掲載されるようですね。
阿久作品を歌った数多くの歌手の中から淳子さんを選択されたリットーさん、さすが歌謡界の歴史を良く分かっていらっしゃる。(10/17記)

阿久悠の膨大な作品をほぼ網羅するジャケット写真付きデータブックが発売

--

桜田淳子さんが芸能活動を休止するまでの約20年間、多くの優れた作品を世に送り出されてきた半面、企画倒れや未発表で涙を飲んだ作品も数多くあることでしょう。
淳子さんのデビュー満45年は間もなくやってきます。彼女の長い芸歴を振り返る一視点として、そのようなエピソードを整理しておくのもファンにとっては重要な事かも知れません。

とは言っても、私は大して知らないんですけどね(笑)
乏しい知識で誠に恐縮ではありますが、誰も纏めてくださらないので、取り上げず此処に書き留めてみたいと思います。

又、桜田淳子界に精通し、かつ本記事が目に留まった方、良い情報をお持ちであればご教示頂けますと大変幸甚です。

--
まずは楽曲関連について。

近代映画1975年12月号に拠ると、同年11/25に発売する第8弾シングルは「よろしく」の予定だったと記載されている。
改めて言うまでもなく、最終的には「はじめての出来事」に入れ替わり、52.7万枚の大ヒットを記録することになるのだが、「よろしく」という同名曲が、後のオリジナルアルバム「スプーン一杯の幸せ」(75/3/25発売)に収録されました。上述のシングル候補と同じモノか否かの確証は何もありませんが、発表時期や良質な楽曲クオリティを考えれば、同名同曲の可能性は高そうですね。
「はじめての出来事」についても、森田公一さんと中村泰士さんの競作だったらしいのですが(出典:アサヒ芸能2013/2/14号 石田伸也著 「百恵と淳子の交差線VOL6」)、中村バージョンがどのような曲に仕上がっていたのかも大変興味をそそります。

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その他にも淳子さんが歌う予定とされていた楽曲が幾つか知られている。
近年になって公に伝えられたのは、中村泰士さんが作詞・作曲された「小心者」の一件でしょうか。
20歳の淳子さんに歌わせたいと思った中村さんがサンミュージックに持ち込んだものの、「大人っぽく過ぎてダメ」と折り合わず。いずれ歌える日が来るまで眠らせておいても良かったが、どこからか曲の評判が流布し、1980年に梓みちよさんが歌うことになったというもの。(出典:アサヒ芸能2012/10/27号 石田伸也著 「消えた歌姫の伝説VOL3~桜田淳子」)
梓さんバージョンを聴く限りにおいては、サンミュージックの意見は正しいのかなと思いました(笑)。淳子さんが歌手活動されていた25歳までだと、歌うチャンスは無かったかも知れませんね。
中村さんは現在の淳子さんが望まれるなら「小心者」を唄ってほしいと仰っていますが、それはいつの日か実現するでしょうか。

ファンの間で語り草となっているのは尾崎亜美さん作の「ギヤマンドール」
Wikipediaによれば、「LADY」に続く1980年春の新曲として告知までされていたにも拘らず、結局「美しい夏」に変更されたとのことだ。告知までされていたということは、レコーディングされていた可能性は十分にあると思うが、今のところ桜田淳子版ギヤマンドールは日の目を見ていない。数年後に松本伊代さんのアルバム(1984年発売)に収録されたことも知られるところで、一度耳にしたことがあるが、「小心者」とは打って変わり、当時22歳目前の淳子さんが歌うには少々幼い印象を受けた。
「美しい夏」に差し替えられた理由は、山口百恵さんの結婚・引退発表に影響を受けたためと伝えられますが、曲調と年齢の兼ね合いも判断基準の一つだったのかもと想像しております。

--
続いて、ドラマ・映画部門。

桜田淳子さんが初めて出演したドラマは、ご存知の通り「てんつくてん」(NTV 1973/10/7放送開始)であるが、その前に出演検討されていたのが、森田健作主演「おこれ!男だ」(NTV 1973/2/25放送開始)。
これは当時の森田・桜田対談で何度か話題に上っているので間違いないと思われるが、レギュラー出演とゲスト出演の両方で検討されていた様です。いずれも実現しなかったが、その理由については一切語られておりません。

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「てんつくてん」の後は、金子吉延主演「どっこい大作」第59話(NET 1974/3/4放送)、篠田三郎主演「若い!先生」第2話(TBS 1974/5/20放送)へのゲスト出演を挟み、「となりのとなり」(NTV 1974/9/28放送開始)で2度目のレギュラー出演を果たします。
しかしながら、その間にもレギュラー出演が予定されていた番組があったことは余り知られていない。
それが北公次主演「ボクは恋人」(CX 1974/4/5放送開始)。
当時人気絶頂のフォーリーブス北さんに、郷ひろみさん、杉田かおるさん、坂口良子さん、岡崎友紀さんと豪華キャストの話題作でしたが、私は一度も拝見したことがなく、淳子さんにどんな配役が予定されていたのか想像がつきません(下記画像を見る限り準主役級と思われ)。北さんの相手役としては、当時は若すぎる気がしますけどね。
脚本を手にしながらの番宣写真まで撮られておきながら出演回避となった理由は、「おこれ!男だ」同様、全く不明です。
⇒この後、下記写真掲載誌とは違う書籍で調べていたところ、桜田淳子さんは第1回のゲスト出演だったようです。インターネットではゲスト出演の記録すら見つかりませんが、実際はどうだったのでしょうか?(2017/10/2追記)

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主演映画第2作は「遺書 白い少女」(松竹 1976/4/24公開)でしたが、実は1964年に浜田光夫・吉永小百合コンビでヒットした「愛と死を見つめて」のリメイクが頓挫したために入れ替えられた企画だったそうだ。これは淳子さんご本人が雑誌のインタビューで語られたエピソードであるため、おそらく間違いないでしょう。落合恵子さんが書かれたストーリーも似ているが、「遺書~」の劇中で大場久美子さんが「愛と~」のミコと同じ病気を匂わせるいで立ちで登場するのは、脚本家(八木保太郎)が同じ方のためだと思われます。要するに「遺書~」は「愛と~」へのオマージュ作品でもある訳ですね。
ちなみに淳子さんは、「愛と~」や「遺書~」の様な悲しい作品は好んでおられなかったそうです。(2017/10/6追記)



本ブログで何度も取り上げているのは、「男はつらいよ」シリーズへの再登板。
「葛飾立志篇」(松竹 1975/12/27公開)から1年後の第18作に同じ配役で出演する構想があったことが度々噂されている。それが事実だったのか否かは検証不十分であるが、確か週刊誌のスッパ抜き記事が出処ではなかっただろうか?
時は1976年秋。事前に交わされた年間出演契約の元、松竹より「男はつらいよ」第18作への出演交渉を行ったものの、淳子さんのスケジュールが折り合わず破談となり、両者間に溝ができてしまったというもの。
その後、毎年恒例になりつつあったGW映画に東宝作品である「若い人」(1977/4/23公開)を選び、以降は契約消化のために出演した「愛情の設計」(1977/7/16公開)を最後に松竹と疎遠になっていることを考えれば、単なる噂ではない様に思えてしまう。
手元にエビデンスが無いため出典を示すことができないが、時間が許せば国会図書館や大宅壮一文庫等で探してみたいと考えているところです。

1980年にも信憑性の定かでない噂がある。
薬師丸ひろ子主演「翔んだカップル」(東宝 1980/7/26公開)に、杉村という女子高生役にキャスティング寸前だったというもの。実年齢に拘りたいという相米慎二監督の反対でご破算となり、最終的には石原真理子さんに落ち着いたのだとか。私的には当時の淳子さんがその役を演じるイメージが湧かないし、仮にオファーがあったとしても断わったのではないかと何気に思うのだが、如何でしょうか。

最後は淳子ファンなら知らない人はいない?幻の主演作「みちのく子供風土記」(1985年5月公開予定)。
淳子さん以外にも大坂志郎さんら秋田県に縁のある方をキャスティングした作品で、完成間近まで進捗したものの、予算都合により制作中止になったそうだ。映画ビジネスの事は良く分からないが、撮影は完了していたと淳子さん自身の証言を聞いた方もおり、更に下記写真のような劇場掲示用と思われるスチール写真まで出回っているのに、この時点で予算が足りなくなって製作を諦めるなんてことがあるのだろうか?
この映画に関する情報は極めて少ない。毎日グラフ1984/12/2号が最も撮影時の詳細を報じたものではないかと思われるが、プロデューサーや監督の名は判明したものの、制作会社や配給先すら突き止めることは叶わなかった。
個人的には、桜田淳子さん関連で最もサルベージしたい作品です。

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他にも公になっていない無数のエピソードが存在するのでしょうが、現時点で私が知っているのはこの程度かな。
個人的に、この手の話には興味津々なので、引き続き情報収集に努めて参ります。


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2016/08/05 (Fri) 00:45
エンジェルハット論争

桜田淳子さんのプライバシーに関する朝真暮偽な噂が囁かれている。
事の次第によっては再び周辺が騒々しくなる可能性もありそうですが、何があっても平穏無事に過ごして欲しいと切に願うばかり。

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さて、「ギラギラしたギラギラした太陽の下~♪」という、聴いただけで汗が噴き出てきそうなフレーズが頭の中から離れなくなる季節が到来しましたが、この時期はビールが格別旨いため、我が家の家計に占める酒代の割合は伸びる一方です。
週末になれば居酒屋へ通い、家では買い込んでいた缶ビールや発泡酒を飲み干しと、日銀のマイナス金利政策や先日のイギリスのEU離脱等で経済の不透明感が増している時期に、この有様。
本ブログでは以前から、エンゲル係数よりエンジェル係数を伸ばすことで、節約をしながら心が豊かになれるという一石二鳥な効果があると口を酸っぱくして提言して参りましたが(嘘)、言いだしっぺの割に全く実践できていませんw

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尚、エンジェル係数という言葉は、経済指標を示す用語として既に使われていた事を最近知りました。

<エンジェル係数>
「一家の一月の家計の中で、学校や塾の授業料、子供の衣食住、病院、レジャーの費用、子供に与える小遣い、将来のための学費貯金、子供保険など、子供に関係する費用全てが総支出に占める割合を指す言葉」(Wikipediaより引用)

生活に占める桜田淳子さん比率を指す用語じゃなかった(笑)
エンゲル係数(Engel's coefficient)は提唱者であるドイツの学者名が由来で、更にドイツ語ではANGELをEngelと表記し"エンゲル"と発音するらしいので、エンゲル係数からエンジェル係数という経済用語が捩り出されるのは至極当然かも知れません。
それならば、「エンジェル係数」改め「エンゼル係数」にしたらどうかと思い始めている訳ですが(笑)、ご存知の通り日本で、昔から"エンゼル"と"エンジェル"の二通りの表記・発音が存在しました。
現在では後者が一般的になっていますし原音にも近いと思うのですが(本当はLADYが"レイディ/léɪdi/"であるように、ANGELは"エインジェル/éɪndʒəl/"がより正しい発音)、昔は前者の方が一般的に使用されていましたね。
これは戦前のドイツ語重視教育の名残で、ア行の拗音を使用しなかった事に由来するらしく、スペルは英語なのに発音はドイツ語に極めて近くなるという和製英語ならでの珍現象の様です。
今でもカリフォルニアエンゼルス(現:ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)とか、エンゼルフイッシュ、エンゼルパイと表記されるように、敢えて発音を変更しない言葉も多いそうな。

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じゃあ、淳子さんの白いキャスケットはエンゼルハット、エンジェルハットのどちらが正しいのか?と、素朴な疑問。
当時の傾向としては、明星・平凡・少女雑誌、学年誌等、多くの出版社がエンゼルハット(多少のブレはあり)と呼称する中、近代映画社はエンジェルハットで押し通していた印象です。
本来であれば、タイアップしていた帽子問屋、或いは命名者である事務所の当時の呼称が正解なのでしょうが、残念ながら現時点では知る由がありません。
当時の傾向を好む私としては、エンゼルパイ等に倣って、エンゼルハットと呼称したくなってくるところですが、淳子さんご自身はデビュー時から現在に至るまで(1973年発売のウイスパーカード、及び2013年開催のファン感謝DAY等)、ハッキリと"エンジェルハット"と発音しておられる様だ。

当時の現代っ子ですから、ア行拗音もバリバリ使ってたのでしょうかね。
微妙ではありますが、淳子さんの発言を尊重するのが私のポリシー(笑)なので、暫定的に"エンジェルハット"が正しい呼称と判断しておきましょうか。

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以前にもブログ内で話題にしたことがありますが、石川さゆりさんのキャスケットは淳子さんを真似たものなのか?という疑問は、今も語られることがある。
淳子さんは小学校低学年からあの帽子を愛用していたことは写真で確認可能な事実だし、さゆりさんがデビュー前からキャスケットを愛用していたという話も嘘ではないだろう。又、お互いに真似をしたという意識も無かったに違いない。
時系列で考えれば、1ヶ月早く歌手デビューした淳子さん(1973.2.25デビュー)の衣装を、石川さんが追随(1973.3.25デビュー)したことになってしまうし、当時の私も(私の周囲の一部も)そう思っていた。
近年、本当はデビューが早かった石川さゆりこそ先駆者だという意見も時折目にするが、実はさゆり嬢の芸能界デビューは1972年放送開始の「光る海」であり、淳子さんよりも一足早かった。
もし、劇中で白いキャスケットを被っていたと言うのなら、先の意見は一理あるのかもしれないが、再放送されない限り確認のしようがありません。

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二人が歌手デビューする前に撮られた上記写真(1972年末頃に行われた雑誌対談より)が存在する。
淳子さんもさゆりさんも件の帽子を被っており、少なくともこの時点で、キャラが被ってしまうだろうことを互いの事務所が認識していない筈は無く、それでも両者は帽子をトレードマークにしてデビューしたのである。敢えてぶつけてきたといいますか。
73年4月14日(淳子さんの誕生日!!)に公開された「としごろ」というホリプロタレント顔見世映画へ、森昌子さん・山口百恵さんと共にホリプロ三人娘として出演した石川さゆり嬢。その時の役名が「淳子」ときた。
淳子さんの存在を脅威に感じていたという堀社長が、淳子さんに勝つための戦略を百恵さんに授け続けたと後年仰っているが、それは石川さゆりさんも含めた淳子包囲網だった可能性が高いと思う訳です。

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そのホリプロ三人娘は、後発の花の中3トリオにポジションを奪われたと言うエピソードを時々耳にするが、これも如何なものか。ホリプロ三人娘が大きな注目を浴びていた記憶は全くないし、淳子サイドだって麻丘めぐみ・松下恵子でビクター三人娘を売り出そうとしていたが、おそらく誰も気が付いていないレベル。
日本テレビによって百恵さんデビュー前から「花の中学生トリオ」は結成されていたし、ホリプロもサンミュージックも了承してのことの筈だ。要するに何かとトリオで括るのが流行っていた時代、プロダクション、レコード会社、テレビ局が三者三様に三人娘を売り出し、最もインパクトが強かった組み合わせが残っただけじゃないだろうか。


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どっちでもいいよ!



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2016/05/07 (Sat) 17:03
アメリカン・パトロール

「佃の渡し駒形ドジョウ柴又帝釈天~♪」というフレーズが頭の中から離れない日々が続いたりするのは私だけかも知れませんが、皆様におかれましては、GWの終盤を如何お過ごしでしょうか。

私メ(誰の口癖でしょ)は、当ブログでやんわりと予告した通り、5/4(水)に「江波恵子の会 - 東京地区」を遂行して参りました。

江波恵子の会と銘打ちながら、辿った場所といえば、
 ・文京区の某神社(「若い人」「玉ねぎむいたら・・・」ロケ地)
 ・柴又ハイカラ横丁
 ・柴又帝釈天門前参道商店街(「男はつらいよ・葛飾立志篇」ロケ地)
 ・高木屋老舗(男はつらいよシリーズ「とらや/くるまや」モデル店)
 ・帝釈天
 ・荒川土手(「男はつらいよ・葛飾立志篇」ロケ地)
 ・日比谷シャンテ・合歓の広場(桜田淳子さん手形プレート)
 ・銀座・スズキフロリスト(「ゴミが捨てられない」ロケ地)
 ・銀座・Ms.REIKO(「ゴミが捨てられない」ロケ地)
 ・銀座・丸源第15ビル(「花の高2トリオ・初恋時代」ロケ地)
 ・銀座・博品館(Thanks 40 スペシャル ~ファン感謝DAY 開催地)
といった感じで、「若い人」は大して関係無かったり。
もっとも只のオヤジの飲み歩きだったという説もありますが、連休中だし、それもまた良いじゃないかってことで(笑)

柴又ハイカラ横丁では、マルベル堂のプロマイドが販売されていましたが、淳子さんは「男はつらいよ」マドンナシリーズのコーナーに陳列されていたのが印象的だった。如何にも土地柄的な発想ですが、本当のマドンナだった樫山さんの立場は......

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博品館を訪れたのは、2013.11.26以来のこと。
あの時の思い出を噛みしめる様にビルの周辺や屋内を彷徨って参りましたが、裏口を盛んに撮影していたせいで、関係者に「何してんだ?」と言わんばかりの冷たい視線を浴びる始末です(笑)。

残念だったのは、銀座Ms.REIKOが閉店(厳密には代官山へ移転)し、店内が空洞化していたこと。
またひとつ淳子さん由縁の場所が失われたことになりますが、1990年の作品ですらこの様な状況ですから70年代なら言わずもかな。営業に支障があるといけないので何処かは言えませんが、他にも老朽化が目立つ建物があり、将来の存続が大変懸念されました。

縁の地紹介のためだけに本ブログを始めた訳ではありませんが、最近ロケ場所関連記事しか書かないのはピッチを上げて調査・訪問しないと、撮影に使用された建物が失われてしまう危機感を強く持っているからに他なりません。

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さて、約4年間に亘り「葛飾立志篇」から「若い人」までのロケ地紹介をしてきた訳ですが、掲載し損なった場所が少し残っております。
新たな作品へ突入する前に、さらっと紹介しておきましょう。

■東京山手教会(渋谷)
「若い人」のラスト、卒業式のシーンで使用された教会がコチラです。勿論潜入捜査を試みるつもりだったのですが、やっぱり勇気が無く.....敢え無く.撃沈。
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■謎の歩道
たまには現在写真のみ掲載するというのも乙なものかと(笑)
下記の写真は、どの作品のどのシーンで使用された場所かお判りになるでしょうか?
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正解は.........................





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貴方の心の赴くままに(笑)



※使用している画像の権利は全て原権利者に帰属します。




2016/01/01 (Fri) 00:41
あけましてコンニチワ!

文末に、週刊現代の記事に関して加筆しました (2016/1/4)

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あけましてコニャニャチワ!
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

新年の抱負と言いますか、私生活においてもブログ的にもこれといった目標は特に無いけれど、主演映画のロケ地ガイドだけは最後まで遣り通したい。
2012年から続けているにも拘らず、「スプーン一杯の幸せ」「花の高2トリオ 初恋時代」「遺書 白い少女」、(主演じゃないけど)「男はつらいよ 葛飾立志篇」と、まだ志半分だ。

今年中に完了出来るかは判りませんけども (おそらく無理)。

そして最後まで遣りきった時、独り善がりな使命感と共に、このブログの幕は引かれることでしょう 。
新環境へのマイグレーション準備も、そろそろ始めたいものです。

--
皆さんご存知の通り、昨年末は思いもかけず、桜田淳子さんをクローズアップした地上波の番組が連続放送されました。

12/26は、TBS 「伝説の芸能60年史」。
百恵さんの引退ニュースで番組が始まり、淳子さんでランキングが終わるという処が、永らく続く二人の縁を感じないでもない。
それにしても、ブッチギリの1位とはね....
映像の二次利用許可がどうしたとか言ってたが、TBSは淳子さんに筋は通しているのだろうか?
又、分別に欠けたマスコミの報道姿勢を反省する意味も込めていると言っていたが、人によっては興味本位を再び駆り立てるだけにならないだろうか?
実際、報道合戦の行き過ぎで、彼女は怪我をしているんだからね。問題点にしっかりと踏み込んで論じなければ、反省の色伺えません。

ちなみに、一瞬垣間見れた「わたしの青い鳥」映像は、1977年1月に放送されたトップスターショーのオープニングシーン。
きっと近い内に、CSで放送してくださるに違いない。

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12/29は、NHK 「夢の紅白2015」。
コーナーを仕切っていた方は良く存じませんが、リアルタイムで淳子さんの歌を聴いていたとは思えない齢にも拘らず、昨年の小柳ルミ子さんと言い、私の嗜好を良くご存じの様で素晴らしい(笑)
映像の方は、予想通りそれぞれが数十秒の短尺ではあったが、歌手として出場した全9回分を一気に拝見させて頂きました。

受け狙いの茶化しコメントにイライラもしたが、歌手としての功績をクローズアップされるのは悪くない気分だ。尤も、本来であればテレビに取り上げられるたび一喜一憂しなきゃならない様な次元の方では無いので、いい加減「あー又やってるね」程度に思う様になりたいものです。

尚、ダイジェスト的に全歌唱映像を見せて頂くより、例え一曲でもノーカットでじっくり放送して頂いた方が個人的には良いので、そこは次回以降に期待。といいますか、往年の紅白歌合戦再放送、もう一度実現出来ないものでしょうかね。BSの時みたく4K放送普及の目玉コンテンツにするとか...................................無理か。


Thanks40のDVDを久しぶりに観たくなったな。
今年は少なくとも3回は鑑賞しよう.................おっと、新年の抱負が出来ました(笑)



■以下、2016/1/4加筆
ネットに集う淳子ファンは既にご存知でしょうが、本日発売の「週刊現代 新年特大合併号」に、桜田淳子さんのカラーグラビアが7ページにわたり掲載されました。タイトルは「桜田淳子 天使の初恋」。
写真のソースは全て1980年発売の「ためらい - 恋する人へ 桜田淳子写真詩集」からであるが、恐る恐る誌面を覗いてみたら............これが中々良い企画でちょっと驚き。

淳子さんの最新コメントあり、未公開カットあり、そして印刷技術の向上がもたらす個々の写真の高解像度化。これはファンなら購入必至のアイテムではなかろうか。

「ためらい」は、諸般の事情により「LADY」を歌っている頃のグアム島ロケと、「美しい夏」を歌っている頃の2回に分けて撮影された写真集。ご本人は22歳当時のものと仰っているが、正確には21歳の終わり頃に殆ど撮影済みだったと思われます。
又、当時はご本人にとって必ずしも満足いく仕上がりでは無かったとも伝え聞くが、今回は淳子さん自身がフィルタリングした写真が掲載されたと想定出来、「企画化に当たり、ご本人へ許可を取っていた」ことに対して、大変好感が持てました。

発売当時にスタジオアルタで催されたサイン会では、本編に掲載されなかった写真が展示されていたそうだが、その後も、1980年に発売された週刊プレイボーイ誌、1997年のサンミュージック歴史本等で断片的に未公開写真が公表されており、今回も36年間埋もれていたであろう未発表カットが、6ページ目上段に掲載された。この1枚だけでも価値があるが、前述の通り、既発の写真も解像度、発色が大きく向上しており、見応え十分である。


突如、年末から年始にかけて各メディアで特集が続き、何やら40周年イベント以来の賑やかな様相になりつつあります。
引退同様の扱いで毎年光文社に隠し撮り報道されるかと思いきや、誠意ある対応であれば公式に取材を受け入れる淳子さん。「可能な範囲で良いから、メッセージを発信して欲しい」というファンの願いを、今も叶えて下さっているのでしょうか。


もう一冊買ってもいいなコレ。




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2015/08/16 (Sun) 15:50
桜田淳子 山陰をかけめぐる・・・

今、山陰が暑い!

もとい
今、山陰が熱い!

世界的テニスプレイヤーとして活躍中の錦織選手は島根県松江市の出身。
全米オープンの帰国会見では、島根特産品のノドグロを世界に向けてアピールしたと話題になった。
同じ松江では、松江城天守が7/8に国宝指定されるという目出度いニュースも。

現在放送中の大河ドラマ「花燃ゆ」は山口県萩市が舞台。しかも、同じ萩市の「反射炉」や「松下村塾」等の遺跡は、この度なんと世界遺産に登録とか。高杉晋作の生誕地が"旧家"とされていることが物議を醸しだしている様に、良くも悪くも観光名所として再脚光を浴びている様です。

他にも、えーと...............................................................................................
...........................................................................................................................
..............................まあ、とにかく熱いのだ(笑)

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何を隠そう(隠してないが)、私は18歳まで山陰地方に居住していた。
明治維新発祥の地であるにも拘らず、地理的な問題等から遷都はされず、山陽地方と比較するとマイナーな印象がある地域。
中国山脈に遮られているために交通の便が悪く、わが町には芸能人も余り来てくれなかった。コンサートを開催してくれた大物歌手は、沢田研二さんとベンチャーズくらいだっただろうか。海外の大物アーチストは来てくれても、日本の歌手は来ないというね(笑)

近年の事情は良く知らないが、昨年に帰省した折には千昌夫&新沼謙治ジョイントコンサート開催が告知されており、桜田淳子さんが芸能活動されていたら、彼らと一緒だったかも知れないなと想像したりして、思わずニンマリ。

一方では映画やドラマのロケには昔から良く利用される。
「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」では、津和野の食堂で「三色すみれ」が使われたことは淳子ファンで有名なエピソード。
「男はつらいよ 幸せの青い鳥」では冒頭で私の故郷が映し出されるのだが、そこには母の亡くなった友人の姿があった。

淳子さん自身も、かつては歌手や女優の仕事で山陰地方を幾度か訪れていますが、当時の芸能記事から少し振り返って見ましょう。

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1974年12月に放送された「みんなで唄おう'74」の収録で、鳥取県と島根県を訪れた淳子さんと百恵さん。
米子市や、島根県の美保が関港、松江城、武家屋敷を回ったそうだ。
しかし、わざわざ松江城まで行って恋占いとは如何なものか(笑)

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こちらは、75年夏の全国縦断コンサートから。
上はJR(国鉄)鳥取駅到着時の写真だろうか。列車で此処に着くまでには兵庫の餘部鉄橋を通る筈なのだが、当時はちょっとした恐怖だったのですよ(実際、回送列車の落下事故が発生した事がある)。
下の写真は雪女等の怪談で知られる小説家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)旧居前で、74年に百恵さんと訪れた武家屋敷の並びに位置する有名な史跡だ。
私も1975年の夏に此処を訪れた筈。宿泊した宍道湖畔のホテルで「あこがれ共同隊」を観ようとしたが、野球中継のせいか、そもそも放送していなかったか何かで観れなかったことを覚えているので間違いない(これ本当)。石碑の後ろで淳子さんを待ち構えている中年は、私の親父かな(笑)。

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鳥取、松江のコンサートを終えた淳子さんは、呑気に寝ていた私の近くを夜行列車で通り越し(涙)、山口県は下関へ。
上記写真は下関マリンランドのイルカショーから。
採算悪化と1999年の台風の影響で閉鎖されてしまったが、当時は県内最大の遊園地で、私も小学生時代に良く連れていってもらったものです(これ本当)。
淳子さんのイルカショーを見ている観客の中に、私が居るに違いない(笑)
尚、下関は厳密に言うと山陰地方でも山陽地方でもなく、山陰道と山陽道の結節点と呼ばれることを最近知りました。

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下関と言えば、1973年11月に開通直前だった関門橋へ雑誌取材で訪れた淳子さん。
上の写真は下関側からでは無く、北九州市の(最早、山陰でも何でもない) "めかり公園第二展望台"のベンチに座ってスケッチしていると思わます。↓
関門海峡Navi

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私も関門橋の開通前後に家族・親類と一緒に訪れているのだが(これ本当)、淳子さんと一緒にカニ取りしている子供は私じゃないかな。ああ、これ女の子だった(笑)


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時代は少し飛んで、1986年。
TBSドラマ「湖に立つ女」の撮影で、島根県松江市と出雲市を訪れた時の記事。
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松江の武家屋敷~小泉八雲旧居に良く行かれてるな、淳子さんは。
私も1986年の同じ様な時期に、ドラマの舞台となった出雲大社・宍道湖・武家屋敷・小泉八雲旧居へ帰省ついでの旅行で訪れているのだが(これ本当)、このドラマのロケ現場に遭遇出来なかったのが残念だ。


悉くニアミスしてきたんだなあ。
知っていたら、日程合わせたのにね(笑)


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