音楽 邦画 アイドル

プロフィール

Thin_Android

Author:Thin_Android
Alias:T.A
1964年生の普通の会社員 ♂
「新・桜田淳子を守る会」
自称会員No.1(笑)
thinandroid0525@gmail.com

2017年4月7日 - 「スクリーン・ミュージックの宴」開演!

最新記事

カテゴリ

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

最新コメント

検索フォーム

リンク

フリーエリア

--/--/-- (--) --:--
スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012/08/23 (Thu) 01:20
アマチュア球界 伝説の左腕投手

夏の甲子園大会も佳境に入っている様ですが、そういえば、私はまだ1試合も観ていません。
でも、1試合で22奪三振という大記録を打ち立てた左腕投手が騒がれていることは知っています。
準々決勝で敗退してしまいましたが、4試合で68奪三振(歴代3位)というのは本当に凄い。1試合あたり17三振ですからね。

VTRで彼の投球を見て思い出したのが、81年夏の甲子園大会でノーヒットノーランと奪三振ショーを見せてくれた、名古屋電気高の工藤公康投手。
同じ左腕、やや低身長、カーブ(スライダー?)の切れ具合等、結構近い感じがしたのですが、野球に詳しい方、如何でしょうか?

さて、アマチュア球界で左腕の好投手に出会う度、いつも思い出す二人の選手がいます。
私が野球を最も良く観ていた70年代の半ば~終わりに彗星のごとく現れた、伝説の左腕投手の思い出を少しだけ語ってみます。

■ハワイ大学 デレク・タツノ投手
 
米国の大学野球記録を総塗り替えし、1977年の日米大学野球でベールを脱いだ、怪物左腕投手、デレク・タツノ。

日本名(静男)を持つ日系3世でありながら、体系はアメリカ人のそれであり(食物が違うせいですかね)、長髪を靡かせ、左手の指をゆらゆらさせながら息を吹きかける仕草が異様なムードを醸し出し、投げれば凄い切れの快速球で、日本チームは手も足も出ず三振の山を築きました。

当時法大の江川投手と投げ合った様に記憶していますが、あの江川さんのストレートがヘナヘナに感じたくらいで(これ本当)、私の記憶の中では、アマチュア球界で最高のスピードボールを投げたピッチャーです。

このタツノ投手は日本でのプレーを望み、大学を中退し社会人のプリンスホテルに入団しましたが、その後すっかり噂を聞かなくなりました。西武に行くのかなと思っていたら、結局メジャーからドラフト上位指名を受け帰国。米国球界ではメジャーに一度も昇格すること無く、29才で引退した様ですね。
プリンスホテル時代には既に全盛期を過ぎており、実は肩を壊していたという話も聞きますが、真実の程はわかりません。

今、彼は何をしているのだろう...VTRも残っておらず、ネットにUPされている僅かの写真と記事でしかその姿を知ることが出来ない、正に伝説の左腕投手です。

参考リンク: 「ハワイスポーツの殿堂とサイバー・ミュージアム」
参考リンク: 「デレク・タツノ 投手」


■能代高校 高松直志投手


東北のリアル星飛雄馬として、知る人ぞ知る高校生左腕、高松直志投手。秋田県代表・能代高校のエースとして、1978年夏の甲子園に出場しました。

1回戦から名門・箕島高校と対戦し、初回にスクイズで1点を失うも、以降は0点に押え(4回以降パーフェクト)、強豪相手に大健闘を見せたのですが、結局は1対0で敗退。
たった1回戦で姿は消したものの、その右足を高々と蹴り上げるダイナミックなフォームは、あの星飛雄馬にそっくりで、本当に驚いたものです。
いやフォームだけで無く、その球威においても甲子園出場ピッチャーの中で群を抜く速さで、同じ大会で最も注目を浴びていた"ツネゴン"こと南陽工の故・津田恒美投手より10km/hも速かったそうです
(津田投手の球速が130km/hだったのに対し、高松投手は140km/hと、当時の朝日新聞に掲載されました)。
当時スピードガンは初速・終速のどちらを計測していたのかハッキリしませんが、あの炎のストッパーと言われた津田投手が130km/hであるなら、おそらく終速計測でしょう。
初速計測なら140km/hは出ているでしょうから、それより10km/h速い高松投手は、高校生にして150km/hくらい出ていたことになります。

左腕で150km/h、そしてあの変則フォ-ム...そりゃ打てっこありませんね。

この試合を見ていた私は、すっかり高松投手のファンになり、プロ野球の世界で(できれば巨人で)活躍する彼の姿を楽しみにしていたのですが、高松投手はその年のドラフトを拒否し、ノンプロの電電東北(現NTT東北)に入社。デビュー戦で打ち込まれる等、社会人では余り活躍できなかったのか、数年後のドラフト候補に再三名前は挙がるものの、結局どこからも指名が無く、プロ入りは実現しませんでした。
数年前、インターネットで現在の彼のインタビュー記事を読む機会があったのですが、ノンプロでは8年ほどでユニフォームを脱がれ、今は普通のサラリーマンとして、同じ会社で頑張っていらっしゃるとの事です。

この人も又、その勇姿を(数枚の写真と文章でしか)知ることの出来ない、伝説の左腕投手でありましょう。

参考リンク: 「投手大国”秋田…“東北の星飛雄馬”も輩出」
参考リンク: 「甲子園の伝説投手 ”稲妻直球”東北の星飛雄馬 能代 高松投手」
 
スポンサーサイト

<< 70年代女性タレント限定 - 月刊「明星」の表紙登場回数ランキング | ホーム | 中一コースの万年筆 >>

コメント

タツノ投手

おはようございます。

デレク・タツノ投手、しっかり覚えています。
彼の投球フォームが好きでした。
当時注目を浴びていて、週刊ベースボールにも数ページの特集を組まれたことがありました。
彼の名前を知ってる人がいる事が嬉しいです ^^

Re: タツノ投手

s-imgさん、こんばんは。

タツノ投手のインパクトは並じゃありませんでしたからね。

そういえば、プリンスホテル時代は、すっかり肥満体型になって、大学時代の凄みが抜け、並みの投手になってしまった印象があります。怠けてしまったのでしょうか?
米国においては、(メジャーリーガーの成績を記録した米国のサイトによると)マイナー3~4年目でようやく目が出始めたにもかかわらず、怪我でその後2年間を棒にふり、地元ハワイの球団で再起をかけるも2年で引退...というその後が見て取れます、残念。

こんばんは、タツノ投手も高松投手もよく覚えておりますが、江川の球がヘナヘナに見えたとは凄いですね。
一時期プリンスにいたのも言われてみると、うっすら思い出したような・・・。

高松投手は津田投手より10km以上速かったというのも驚きですね、あの試合、能代高校は箕島の当時確か2年生だった島田兄さんに2回も2塁ランナーを牽制でさされて、島田兄さんの強肩も印象に残りました。
高松投手は確か、予選でも防御率はそれほどよくなく、ドラフトでも指名されず、当時不思議でした、フォームが大きすぎたのでしょうか?投手は誰が成功するか難しいですね。

2人ともその後あまり耳にしなかったので、不思議でした。

Re: タイトルなし

じゅんたさん、こんばんは。

> 江川の球がヘナヘナに見えたとは凄いですね。

ちょっと大袈裟でしたかね(笑)。あくまで日米大学野球の印象でして、大学時代の江川さんは「手抜き」と言われており、高校時代の豪速球は鳴りを潜めていた記憶があります。プロの全盛期のストレートであれば、タツノ投手に劣っているという事は無いと思います、さすがに。

能代vs箕島、良く覚えてらっしゃいますね。相手のエースは、あの石井毅投手(当時2年生)でした。
高松投手は予選の防御率は良く無かったんですか。あのフォームですから、制球やスタミナは悪そうですが、39イニングで62奪三振らしいので打ちにくい投手だったことは確かなようですね。
予選の決勝では、あの20勝投手の工藤幹夫さんで、秋田では伝説の名勝負と言われているそうです。

ドラフト前はいつもスポーツ新聞にかじりついていたので覚えてますが、ドラフト候補には何回が挙がってたんですよ。何処に入団するのか期待していたのですが、結局は指名されませんでした。高校時代がピークだったのかも知れません。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム 


あわせて読みたい ページランク表示用ブログパーツ E-PageRank
リンクが自動増殖オートリンクの登録はこちら by オートリンクネット
[PR]裏情報暴露大公開します ネットで儲ける時代
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。